カメラ/ジャン=フィリップ トゥーサン


軽薄さのさじ加減

うざったい。っていうかなんかむかつく。
この「カメラ」に関してまず最初に出る感想がそれだ。
読んで見てもらった方が早いけど簡単に説明すると、基本一人称で書かれている地の文に、(ね?言ったとおりでしょ?)とか(ええ、ええ、そうでしょうとも)みたいな軽率な独り言が添付されていて、なんかカチンと来るというか「読むぞ」という気が随分とそがれるのである。
それでもこの壁を乗り越えて読んでいけば、この独り言がだんだん味になってくる・・・と言いたい所だが、全然そんな事はない。と言うか後半に入ってくるとこのカッコ書きの頻度は大分少なくなり、最後の方は全く出てこない。なので読後感は悪くないのだけど、もう一度読み返したりした日にはまたいちいちカチンと来るのだ。

このカッコ書きについては、トゥーサン作品全般において多少見られる傾向ではあるけれど、他の作品においては文脈上まだ意味のあるカッコ書きと言えない事もない。しかし、この「カメラ」前半におけるカッコ書きの軽率さと言ったらちょっと度を超えてる。
問題はこの一点を除けば(我慢すれば)、この作品はとても面白いという事だ。

全体の物語の展開、テンポの良さ、会話の軽妙さなどは軽々しくポップでありながらも主人公の視点は神経質でシニカルであり、脇道の面白さが十分に出ている。後半のカメラの下りなどはアントニオーニの「欲望」を彷彿とさせ(パクリ?)、ミステリアスな要素も含んで読後感をしっかりと残すようになっている。なにより一番の特徴は文章から「絵が見える」という事である。

僕はあまり海外旅行には行かない。海外に興味がないのではなくて、行くなら本気で行きたいというか、住みたいと思うからだ。大学を卒業する際に、いわゆる卒業旅行という、ちょっと恥ずかしいヤツで僕はロンドンとローマに行った。その時もいかにもな観光はほとんど興味がなく(聖地ウェンブリーとオリンピコスタジアムだけは外せませんでしたが)、一日の大半を喫茶店とか公園とか雑貨屋とか中古CD屋とか、そういう生活感あふれる所でブラブラしていた。
そういう旅行の仕方というのは別に珍しいものでもないと思うし、そんなん当たり前だと思う人はたくさん居ると思うけど、そういう生活の一コマのちょっとしたスペシャルな情景というのが、書けるか書けないかという点で、僕の作品の評価は大きく変わる。

そう言った事も含めて、「カメラ」はこの手の小説としては王道というか、傑作の一つとして認められてもおかしくない。実際にトゥーサンという作家は日本で結構人気があるようだ。ちゃんと売れたようでBOOK OFFとかでも良く見かける。

けれども僕はこの小説をどうにもイチオシ出来ないでいる。それはやはり前述した例のカッコ書きのせいだ。この余計なカッコ書きが現れる度に、軽さメーターは完全に振り切ってしまう。それはカジヒデキに対して躊躇する感覚と似ている。トーレ・ヨハンソンなんかとも絡んでるカジ君のポップセンスが質の高いものである事は想像出来るのだけど、「ミニスカート」とか言われるとどうにも買う気がしない。

彼の「カメラ」の次作にあたる「ためらい」では、その反省?からか、このカッコ書きのような軽率さはない。ある海辺の村に友人を訪れてやって来た神経質な男の一人相撲が繰り広げられる、というなんだか掴み所の無い話だが、軽い文体にミステリアスな雰囲気がマッチしていて素敵だ。
でもストーリーはほとんど無いし、ちょっとポップさに欠けすぎる気がする。
なので、これが地味すぎるという人にはデビュー作の「浴室」をお勧めしたい。これは逆に「カメラ」よりも軽くてポップで、話の展開も早い。ここまで軽ければ「軽いよー」と言う方向でさっぱりできる。でもやっぱり軽すぎる。主人公がその世界の中に生きていないというか、やや断絶してしまっていて、地に足がついていない感じがする。

新しい人間が持つ勢いと新鮮さ、自分の味と領域を発揮する自己認識と経験が丁度バランス良く重なっている時期の「カメラ」がやはり一番良い。
「Yellow Submarine」が入ってたって「REVOLVER」が最高なのと同じだ。
リンゴだってたまには歌いたいんだ。

(05/01/17)

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