鉄道員/浅田次郎


鉄道員直木賞の救世主

1996年上半期の直木賞。受賞は乃南アサの『凍える牙』。この受賞自体には取り立てていうべきことはないのだけど、その回の候補作を見たときに事情は変わる。そこに考えられないタイトル、浅田次郎の名作『蒼穹の昴』があるからだ。
その当時文芸の賞に対して偏見めいたものに支配されていた僕は、後々その両作品を読んでその思いを強めた。『凍える牙』がどうこうというより、『蒼穹の昴』が良すぎるのだ。
ご存じない方もおられるでしょうから簡単に説明しますと、文芸春秋社が主催する文芸賞のうち芥川賞は純文学の若手に、直木賞はエンターテインメント系で、かつ一作家としてのステイタスを築いたひとの作品に送られるもの。明記されているわけではないけど、大体そういうことになっている。
そこで『蒼穹の昴』に注目してみると、これ以上その創設目的にかなった作品はない。満を持して2004年にやっと出た文庫では4冊に渡る長尺で、テーマも清朝後期の動乱と、決して取っつきやすいものではない。にもかかわらず、一度読み始めたら止まることは大変難しい。登場人物がいちいちやりすぎない程度に魅力的で、その活躍の場も念入りに調べて構築されているようで隙がない。少し難解なことが関係してきても、話の流れの中で理解できるようにエピソードが挿入される。また、そのいちいちで大の大人が涙をこらえるような感動が用意されているのだからたまらない。布団の中で母親に話の続きをせがむ子供のようにストーリーを求め続ける。まさにアンストッパブル。なにつかったって止めらんねえ。えらいこと寝不足になった。これこそ日本文学史上最高の傑作といって差し支えない。 しかし受賞は『凍える牙』。端っから偏見持ちの僕は選考理由を読んでいなくて、それが今大変残念だ。同時受賞というのもルール上なしではなかったのに、何故なんだろう。正直”乃南アサに”同情する。

サッカー好きだけにわかる例えをしてみる。1999/2000シーズン。マンチェスター・ユナイテッドの大エースベッカムは、プレミアリーグ、FAカップ、そしてチャンピオンズリーグの3冠という偉大すぎる快挙の主役だった。多くの得点がその右足から演出された。誰もがバロンドールを疑わなかった。しかし、その栄冠は何故かヒバウドに渡った。ヒバウドが悪かったかというとそんなことは全くない。だけど、あのときのベッカムは別格だった。あれで受賞できないなら一体なにをすれば受賞できるのか。その次のワールドカップを取るしかないのか。

浅田次郎はそのあるひとつを極めてダメなら、違う方向からアピールするしかないという意味でのワールドカップをとって見せた。それがこの短編集『鉄道員』だ。
これは想像だけど、直木賞サイドも苦しかったと思う。浅田次郎に受賞させないのはまずい。あれは失敗だった。村上春樹に与え損なった芥川賞の二の轍を踏んではいけない。しかし、次の作品に与えるとしても『蒼穹の昴』を超えてくれないと、1996上半期の選考基準を突っ込まれてしまう。とはいえそんな凄いものぽんぽん出てくるとは思えない。そこに出てきた『鉄道員』はまさに救世主だったのではないだろうか。短編集ならそこをクリアできると。
かくして1年後(!)の1997年上半期、直木賞は失敗を取り戻し、無事日本最高のエンターテインメント作家に時計を渡すことに成功。作品も大ヒット。豪華キャストでの映画まで作られた。大円団だ。良かった良かった。本当に良かった。浅田次郎がとってないなら今誰がとろうと直木賞がどうとか書いてませんよ。

さて、少し話は逸れるけど、この『鉄道員』は上述の通り短編集だ。表題作はゆっくり読んでも30分はかからない、この本の7分の1なのだ。
しかし映画の影響なのか、浅田次郎→『鉄道員』→高倉健→不器用ですからの連想をしてしまうひとが少なからずいるという、ちょっと困った弊害が生じてしまった。思い切って断言すると、それは違うのだ。浅田次郎のファンサイトだったと思うけど、『鉄道員』のなかで何が一番好き?というアンケートをみたことがある。そこでの1位は確か「角筈にて」だった。そして僕が一番に挙げる「ラブ・レター」は2位。共に卑怯なまでに爆発的な泣かせをかます名作で、「鉄道員」はこういってはなんだけど、明らかに一枚落ちる。少なくとも上位には来なかった。そう、ファンからすると、「鉄道員」も悪くないけど、浅田次郎の代表作では全然ないのだ。そもそも『蒼穹の昴』こそが最高傑作なので、短編集を褒められると、もちろんそれもいいんだけど、長編を読んでみて欲しいんだよと思うのだ。

話は更にちょっと逸れる。僕が『鉄道員』の中で一番に推す「ラブ・レター」だけど、これは複数映像化されている。そのひとつに、テレビ2時間ドラマものがあるのだけど、これは素晴らしい。西田敏行が主演で文句なく原作のイメージ通りで、脇の金子賢もこれがベストワークではなかろうかという好演。これまで3回観たけど毎回泣いた。オススメ。

ここで話を戻すと、なんでもいいいからさくっと『鉄道員』済ませて、抵抗を感じなかったなら『蒼穹の昴』を読みなさいってこった。泣かせもの書くような作家には興味ないというひとでも、つまらかったということはないはず。保証する。まあ、無理にとはいわないけど。

(ホンマ:05/02/10)

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