世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド /村上春樹


世界の終りとハード・ボイルドワンダーランド(上)世界の終りとハード・ボイルドワンダーランド(下)芥川賞権威喪失の根源

『世界の中心で、愛をさけぶ』に抜かれるまで、日本の小説で一番売れていたのは村上春樹の『ノルウェイの森』だった。 僕はそれをリアルタイムでは読んでおらず、『風の歌を聴け』から大体順に読んでいったところ、大学も後期になるまでたどりつかなかった。
その大学の友人が。その僕がまだ未読の『ノルウェイの森』を読んでいて、この村上春樹というひとの本はおもしろいよと言ってきた。そして彼はそれ以外の村上作品を読んだことはないとも。
そのとき既に十分な知名度を誇っており、僕にとってもこの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でトップランクの作家だった村上春樹が、何故『ノルウェイの森』で彼の手に取られることになったのか。わからずにちょっと反応に困ったことを憶えている。そして未だにわからない。つまりそれほど好きじゃない。

とにかくそういうことで『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。
絡み合うのか合わないのかよくわからないまま、それぞれで勝手に魅力的に進行していく二つのストーリー。進行には関係なさそうなことを徹底的に描写する手法。この不思議な感触はちょっと他にない。村上春樹は思いきってここから行くのがいいと思う。思い切らないとなにになるのかと訊かれても困るけど。

『海辺のカフカ』は割と、というかかなり売れたようで評判にもなっていたけど、そのときに「世界の終わりを彷彿とさせる〜」というポップをよく見た。英国インディペント紙の書評(?)でもそうなっているので国際的にそうなんだろう。その『海辺のカフカ』も同様に二つのストーリーが同時に進行するのだけど、やがてこの二つのストーリーが絡むのだろうということが明確であり、その意味で『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の不思議さには及ばない。けれど、多くの人が『海辺のカフカ』に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を影を見るということ。これは、それほどに『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が強い印象を残す名作であることを、ほんの少しばかりかもしれないが証明していると思う。

僕は長いこと直木賞、芥川賞に、それを中心とするような文芸界に反感があった。それはこの作品を書いた村上春樹や吉本ばななが候補にも挙がっていなかったからだ。こんなにおもしろいものを書ける人に見向きもしないで****なんぞに与えられるような賞に何の価値があろうかと。
今ではそれほどそれらの賞は中心でないと思えてきたし、また受賞者の中に村上春樹に劣らない作家がいるということを感じてどうでもよくなるのだけど。
だからこれはタイミングとか順番の話。****がなんだかわかれば納得する人も多いのではないかと思う。つまらん偏見もたせやがって。

舞城王太郎がある作品のなかで、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の感想を登場人物に語らせている。まとめると「文体が面倒くさくてすぐに読むのを止めてしまったけど、しばらく経ってから一気に読んだら感動した」ということだ。
全くの偶然なのだけど、その舞城作品を読んでいるのと平行してウチの父に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を薦めていたら、「描写が鬱陶しい」といって殆ど読まずに返された。なるほどおもしろい。 もしこれからこの作品を読む人がいたら、是非この話を胸に留めておいて欲しい。

(KOM:04/11/01)

追記(05/01/24):その書評が割と気に入っている豊崎由美が、『百年の誤読』においてノルウェーの森を絶賛していた。特に気になったのは、彼女も出版当時は気に入らなかった(もっというと酷評したらしい)ということ。
それを読んで、ああ、同じだなと。じゃあ僕も再読の必要があるなと思った。

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